こんばんは。
中学生と高校生の男の子2人の母です。
最近、次男は忘れ物を頻繁にします。
と言うか、以前は私が知らなかっただけなのかもしれませんが、中学生になってから、目の前で見る忘れられた者たちの悲しげな姿…
体操服袋に水筒…筆箱、前日に頑張ってやってた提出物…などなど
忘れ物の仕方って私が思うに2パターンあると思うのです。
まずは…
すっかり忘れてて、持っていくことさえ準備されていなかった物たち。
ちゃんと準備していたのに、持っていくのを忘れられた物たち。
さらに、後者の中でも分類できて、準備してたのに部屋から持ち出すのを忘れていた物たち。
持って部屋から出たのにぎりぎりでソファーや車に置き忘れた物たち。
母として一番嫌なのは、一番最後のぎりぎりで…のパターンです。
実は、昨日は水筒、今朝は筆箱でした…。
水筒は、先週末もやりました。
ただね、先週末水筒を車に置き忘れたからか、今週のはじめは、車から降りる時、ちゃんと座席をチェックしていたので、失敗から学んだな!よしよしとちょっとうれしかったのですが、また昨日水筒を車の座席に忘れていました。
先週末はたまたま早帰りの日で、お弁当もなく、まだよかったのですが、昨日はがっつり6時間、また暑い日だったのです。
母は水筒を座席の上で見つけた時、一瞬学校に連絡しようかしら…と思ってしまいました。
最近体育祭の練習で毎日水筒がからっぽだったので、この日も体育があるかもしれないし、熱中症が心配で。
でも、中学にもなって水筒一つで連絡するなんてちょっとおかしいよな~(小学生の時でもそんな連絡したことないし…)自分で困ったら先生に言うなり、最悪水道の水を飲むかな?なんて思いながら、少しゆらゆらした気持ちで過ごしました。
なんせ、昨日の関西は結構暑くて…
小学校の低学年の時は、次男はとっても自己管理できていたので、忘れ物で困ったことや、心配することはまずなかったのです。
高学年は、忘れ物、さらに無くし物多々ありました。
何なんだろう、この変化は…
やっぱり思春期が関係してる?
できていたことができなくなるって、結構損ですよね~。
最初からできていなければ、できていくということが成長に捉えられて、褒めどころもたくさん生まれるのですが、次男の場合、低学年の時の方が、いろんなことにおいて、できていた人なので、本人には時々しか言いませんが、母の中ではがっかりポイントが結構あります…。
前に話した身だしなみもそうですね。
次男が帰ってきて、学校で水筒がなくて、どう過ごしたのか聞いてみたら…
一滴も水分を取らなかったとのこと。
お弁当の時も何も飲まなかったらしい…と言うかもちろんないから飲めないのですが、先生に相談することもしなかったみたい。
幸いにも体育の授業はなかったみたいです。
本人は、どう思ったか知りませんが、母はすごく悔しいと毎回思ってしまいます。
何が悔しいかって、不便な思いするのがかわいそうって気持ちがどこかに湧いてきちゃうんです…
こんなの自分のせいなのに、自分の注意不足のせいでそういう思いをするのは当たり前のことなのに…
前者のすっかり忘れてた系では、なんとも思わないのですが、一応本人も気にかけていて、最後の最後に…の場合、なんとなく同情する気持ちが生まれてきちゃうんですよね…。
過保護…です私。
私自身、過保護に育てられてきたので、自分がしてもらったことをついしたくなるんですよね~。
でも、それをグッと我慢して、過保護にならないように気を付けています。
生きる力を身につけてほしいですからね。
今回の次男の対応はちょっと生きる力足りてませんよね(汗)
行動に何もうつしてないですものね…
ひたすら我慢だけ…
話は戻りまして…
過保護が決して悪いとは思わないんです。
私に祖母や母がしてくれたことって、やっぱり愛情の塊だったんです。
愛をいっぱい貰った感覚は今でもしっかり心に刻まれています。
時には、鬱陶しいと思うこともありましたけどね…
今、私が祖母や母がしてくれた過保護のせいで、何にもできない人間になっているか…と言うと、別にそんなことはないので、なんでもバランスなんでしょうね。
祖母や母も過保護な面と、自由にいろいろさせてくれた面と両面持ち合わせていました。
私も、長男次男、ついでに夫にも(ここ重要、子育てが終わったら二人になるんだもの)少し鬱陶しがられながらも愛情だけは伝わるようにしたいなと思う今日この頃です。