夢はかなうか…幼児教育と思春期とくもん

子育てって難しい!悪戦苦闘しながら子供たちが夢をかなえられるように応援する母の記録

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高校生になってはじめて教えてくれた長男の本音

こんにちは。

中学生と高校生の男の子二人の母です。

 

今日は、少し長男の話に触れておきたいと思います。

何度も何度も言葉を選び書き直していたので時間がかかりました。

とにかく簡潔に、あんまり踏み込んだことは避けました。長男がもしこのブログを将来見た時に、嫌な気持ちになってほしくないから…

 

前のブログにも何度か出てきましたが、長男の子育てを私は頑張りすぎました。

勉強も運動も芸術もなんでもできるスーパー人間を作ろうとしたのでしょうか?

期待ばかりかけて、子供のため子供のためとせっせといろんなことをして…

 

ルールを作り、こうしなければならない、こうあるべきだといろいろ頑張りすぎて、そして、長男に厳しくしてしまったことも多々あります。

 

長男の行動の裏にはいろいろなサインが隠れていたのに、それを、サインとは受け取らず、なんでこの子は普通のことができないんだろうか?ここまでかたくなに反発するのだろうか?と長男の方に問題があるかのように思っていました。

 

小学生高学年、学校を休みがちになった時、塾をさぼって夜中まで出歩いていた時、壁に穴をあけた時それだけサインを出しているのに、それでも私のスタイルを貫き通そうとしてしまったこと。

 

早産で生まれてきたとき、肺に水が溜まって救急車で運ばれていった時、健康で元気でいてくれたらそれだけで十分…と心から願っていたのに。

いつの間にか欲張りになって行った自分。

 

そんな私も、いろいろなことを経験して、子供は自分とは別の人間で、どうにもならないものなんだとやっと気がついたとき、はじめて自分を変えることができました。

それに気がつくまではなかなか時間がかかりました。

これだけ愛情を注いでいるのにどうしてわかってくれないの?

あなたの将来のためを思って言っているのに、どうしてちゃんとしないの?

そんなことばかり考えていたように思います。

 

しなければならない、するべきだをできるだけなくし、今はまだできないだけかも…と言う思考回路にしました。いつかわかる日がくるという気持ちに切り替えました。

 

でも、現実問題、目の前には高校受験がやってきて、多くのお子さんが受験されるように、うちももれなく受験を考えました。

中3になり塾にも通うようになり、いろいろなプレッシャーが長男にまた襲い掛かります。

 

長男は小学校高学年ごろから、嫌なことから逃げてしまう傾向が強くなりました。

例えば塾に行っても、実際は違うところで時間をつぶしてたり、その場しのぎで相手が納得するような前向きなことを言って事を収めて、でも実際は行動することなく、結局約束を守らない…と相手が感じてしまうようなことがずっと続いていました。正直今もその傾向はあります。

 

破られる約束ってどこかでわかっているはずなのに、どうして期待しちゃうんだろう…

 

子育ては一人でしていたわけでは無いので、夫婦間でも長男への接し方に大きな違いもありました。

ザ昭和を貫く父親と、今は無理なのかも…と気付いている母親。

怒る父、かばう母の構図も出来上がりました。

 

母の気持ちをどれだけ父に伝えても、甘やかしているだけだという答えが返ってきて、ますます悪化していきました。

 

母も塾からのプレッシャーや、目の前の高校受験に不安を感じる気持ちから、ブレブレの日々を送っていたようにも思います。

本当に皆それぞれ、苦しかったと思います。

 

長男も、父も母も、そして、家族のいざこざを見せられ続けた次男も…

 

いつか、あんなこともあったねと笑える日が来れば良いなと思って日々過ごしていますが、この夏少しだけ兆しが見えました。

 

夏休みに長男と話していた時

 

長男「おれ、小5の時、めちゃくちゃ悪かったわ~結構いろんなことしててん、見つからんかったこととかもあるねん。」

長男「今思えば、悪い友達と付き合ってたよなーって思う。仲の良い友達が〇〇くんとか〇〇くんやったら、全然違う風になってたと思うねん。」

 

また違う話では

長男「お母さんめっちゃ厳しかったでゲームに関して。あんな制限つけられている家、他になかったわ、めっちゃあん時恨んだわ」

長男「だから、〇〇には(弟の名前)制限つけんといたほうがいいで!逆効果やから」

長男「今時いろいろ抜け道あるんやから」

 

今度は海外の中学時代の話でこないだ現地へ遊びに行った時

長男「おれ塾行くって言って、めっちゃ電気街行ってってん、だからこのあたりめっちゃ詳しいで、なんでも教えたるで」

 

こんな感じで笑いながら話していました。